2013/日本 上映時間120分
監督・脚本・編集:是枝裕和
製作:亀山千広
畠中達郎 他
撮影:瀧本幹也
キャスト:福山雅治 (野々宮良多)
尾野真千子 (野々宮みどり)
二宮慶太 (野々宮慶太)
真木よう子 (斎木ゆかり)
リリー・フランキー (斎木雄大)
黄升炫 (斎木流晴)
樹木希林 (石関里子)
夏八木勲 (野々宮良輔)
97点
”そして物語は続くのです"
もの凄くお客さん入ってるみたいですね。
自分の観た回もほぼ満席でした。
そして恥ずかしながら、どうかと思うぐらいに号泣してしまいました。
後半は垂れ流しでしたね。うん、良かった。
しみじみと。
自分のちょうど真後ろの席に、劇中に出てくる親子ぐらいの、お母さんと男の子の2人組がいたんですけど、エンドロールが終わって、お母さんはぐすぐす涙ぐんでいる様子。
それに恥ずかしくなったのか、男の子は「トイレいってくるー」と1人で先に劇場を出て行くと言うなんとも微笑ましい光景を目にしました。
男の子よ、気まずいよな、その気持ち分かるぞ。
素晴らしい映画がちゃんとヒットしている事を嬉しく思うと同時に、これを期に是枝監督の素晴らしい作品達にも目を通してもらえるチャンスだとも感じています。
『誰も知らない』の時は、賞のことばかり報道されていて肝心の内容があまり報道されていなかった印象なのでね。
まず何より、映画としてのクオリティが非常に高い。
しっかり画の力でお話を語って、無駄な説明台詞を省く。
例えば冒頭の、いかにも対策してきました的なお受験での面接シーン。
この場面で教科書通りの形式張ったことを話させることで、福山雅治演じる良多の性格、そして、家族内の距離感を、説明台詞に頼らずに一発で説明出来てるんですよ。
終盤の、家の中でキャンプをするシーンも素晴らしかったです。
みんな楽しそう。だけど、着替えているアウトドアウェアにまだタグが付いてるんですよ。
つまり買ってから一回も、慶太君がいた時には使用していない。
これまでの野宮家の様子がそこに垣間見えると同時に、そんな良多が変わり始めた瞬間にもう涙でした。
全編がこの丹念な演出で構成されてるので、この言い方が正しいのか分かりませんが、映画を観ている感覚が全くしなかったです。
テレビドキュメンタリー出身の是枝監督ならではのものです。素晴らしいとしか言えない。
この是枝監督の演出について、自身の著書の中でこんなことをおっしゃられていました。
少し長く引用させてもらうと。
劇場を出た人が映画の、物語の内部ではなく、
彼らの明日を想像したくなるような描写。
その為に演出も脚本も編集も存在しているといっても過言ではない。
こんなことも。
例えば脚本。
妻が夫に「ねえ○○(名前)、ハサミ取って」と言うのは文字だけ読んでいると普通だが、
実際の部屋の中で演じると随分説明的だ。
まずふたりしかいないのならお互いに名前を呼ばなくていい。
ハサミという単語は、目に見えているのであれば「それ」に変える。
指2本でチョキを作って動かせばそれだけで済む。
最終的に台詞として残るのは「ねえ」だけで良くなる。
そうすることでこの1行の台詞はリアルな生活の言葉として空間の中で活き始め、
空間をも結果的に活かすことになる。
是枝裕和著「歩くような早さで」より
是枝監督作に通底しているある種のリアルな生活感演出がばっちり説明されているので丸々引用させてもらいました。
演出の理想は、ドキュメンタリーの製作で出会った人々なのだそうです。
是枝監督作を観ている時に強く感じる、フィクションとは思えないような実在感は、ドキュメンタリーでの経験に裏打ちされたものだったんですね。
もう一つの是枝流演出が子役への演技指導です。
是枝監督は台本を渡さずに、その場で子役達に口伝えで台詞と状況を教えることで有名ですが、それによって子供達が本当に実在感たっぷりに生き生きとしてるんですよ。
何をやりだすか分からないハラハラ感もあるし、人見知りで緊張してるんだなってこともはっきり伝わってきます。
これも言わばドキュメンタリー的手法ですよね。
その子役達の親を演じる俳優達も素晴らしい。
特に福山雅治。
「真夏の方程式」でも素晴らしい演技でしたが、素晴らしい俳優さんであるとまざまざと感じました。
福山さん自身にはどこかクールなイメージがついている訳ですよ。
彼が演じる役柄としては、”良き父親像”はなかなか想像出来ないです。
そのクールな印象が、良多役では、逆に子供への接し方になれていない父親として感じられて見事にハマってましたね。
元々、良多役は福山さんの当て書きだったらしく、ハマりっぷりも納得です。
福山さん演じる野々宮家の対比として出てくる家族が、リリー・フランキーさん演じる斎木雄大一家です。
リリーさん演じる雄大が画面に出てくるだけで心底ホッとするんですよ。
この映画における笑いどころを担ってる訳ですけど、リリーさんはドンピシャでしたね。
家族でお風呂に入ってるシーンは思わず顔がほころんでしまいました。
クールな福山さんの対になるキャラクターとして、どこかひょうひょうとしているリリーさんは人間的な魅力に溢れているように感じられて、本当にベストなキャスティング。
リリーさんは『凶悪』と合わせて、役の不利幅が素晴らし過ぎます。
ふたりの妻を演じた、尾野真千子さん、真木よう子さんも素晴らしい。
尾野真千子さん演じるみどりは、良多よりも長い時間を慶太君と過ごしていたこそ、より深く悩むし、葛藤する。
真木よう子さん演じるゆかりは、三人の子供を育てて来たから、他の子供達への心配もする。
それが何気ない台詞と演技で示されていて素晴らしい。
彼らの演技を観ているだけで、それだけで映画的に幸福な時間でした。
「取り違え」と言う、もの凄くセンセーショナルなテーマではありますが、この映画はもの凄く普遍的で、誰もが共感しうるお話になっています。
センセーショナルなのに普遍的。
ではどこが普遍的なのか。
それはこの映画が、「取り違え」を巡る結果を描いているのではなくて、そのことをきっかけにして、福山雅治が父性を獲得するまでを描いているからです。
つまり、お話の中心は福山雅治演じる野々宮良多なのです。
血か時間か、子供を交換するかどうかに焦点を持って行くと、その結果自体が物語のゴールになってしまって、ただのテーマの矮小化です。
冒頭、建築建設会社で働いている良多は、会議の場で模型に「もっと家族の人形足して。アットホームな感じの。犬なんか連れて」と注文を入れます。
つまり、イメージとしての”いい家族”は良多の頭の中にもあるんです。
でも、「取り違え」をきっかけにして思い知る訳です。
完璧だと思っていた自分の人生において、全く父親にはなれていなかったと。
ここで福山さんのどこか冷めた、子供慣れしていない演技が効いてくるんです。
それが決定的に変わるのが、クライマックスのカメラ演出。
中盤、慶太君と過ごす最後の日。
ふたりで公園で、どこかぎこちなく遊んで、カメラでお互いを撮ったりする訳です。
そして、慶太君と流晴君を「交換」して、戸惑いながら流晴君と向き合おうとする良多。
ある朝ふと、一眼レフのカメラを手にして、フォルダをさかのぼっていくと、昨日流晴君を撮った写真が。
ああ、なるほど。
最後の日に撮った写真を目にするのね。
いい思い出させ表現だ。なんてもう既に目に涙溜めながらしみじみ考えてた訳ですよ。
そしたら、やっぱり慶太君と最後に遊んだ日に、慶太君が撮ってくれた写真が。
もう泣いてますよ、号泣ですよ。
でもさらに次があったんです。
さらにフォルダをさかのぼると、良多の知らない所で、慶太君が寝ている良多を撮った写真が。
それは映画には出て来ない、慶太君だけが知っている時間。
もう涙が止まりませんでした。
つまり、慶太君はちゃんと良多を見ていたのです。
慶太君にとっては、父親だったんですよ。
そのことに気付いて、会いに行くんです。
「6年間はパパだったんだよ。出来損だったけど、パパだったんだよ」
情緒に流れやすそうなこのシーンも、前述の通り丹念に演出を重ねていて、過剰な演出と音楽を排しているから、より真に迫るものがあって、もう嗚咽でした。
別れて歩いていた道が、文字通り一つに繋がる映画的な演出も本当に素晴らしかったです。
分かりやす答えは映画の中では示されません。
この先どうやって良多は子供達と向き合って行くのか、それはこの先に続いて行くのです。
良多が父親としてのスタートラインに立ったところで映画は終わります。
そして、これから父になるのです。
良多が家族と向き合うきっかけになるエピソードも凄くよかったし、夫役にピエール瀧さんをキャスティングしたことによって、一瞬の出演であってもそこに無視し難いインパクトが生まれて、本当に大正解だと思いました。
評価と興行収入が一致している本当に希有な日本映画だと思います。
こう言う映画がヒットしていると、まだ日本映画捨てたもんじゃないなと、凄く嬉しく思います。
そして、是非これをきっかけに過去の是枝作品にも目を通してください。
どれもこれも素晴らしいので。
まずは前作の『奇跡』がおすすめです。
そして、まだ観ていないと言う人、今すぐ劇場へ行きましょう。
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