2015年8月31日月曜日

”永遠への挙手”に気付くために


先日、新宿K'sシネマにて『リンダリンダリンダ』を鑑賞。
何を隠そう、私、『リンダ』が世界で一番好きな映画でして。
不動の生涯ベストワン作品。


全シーン全カットつぶさに解説していきたい気持ちなんですが、今作で特に好きなシーンが、映画中盤、日が落ちて薄暗くなった土手を4人が等間隔で歩く様子をカメラの横移動で捉えたシーン。
それまでの流れから、ふっと映画のトーンが変わって、幻想的な瞬間が訪れる不思議なシーン。
ジェームズ・イハの劇伴も凄く印象的。

明日は本番。響子も大江に告白する準備も整えて、あとは曲を完成させて明日を待つのみ。
日の落ちた土手、等間隔で歩く4人。ソンが先頭になってるのがまた良くて、彼女達が歩く道がどこまでも続いてるように思える。終りは必ずあるのだけど。
ただ学校に向かって歩いているだけのシーンなんだけども、この瞬間は永遠のように思える。


溝口健二は『山椒大夫』の中で、カメラを何も無い海へと向けるパンショットを撮ります。
このパンショットに衝撃を受けたのが、批評家時代のゴダール。
海へと向けるパンショットに、どこまでも続く海に永遠の意味を持たせて、「“永遠”に手を振っているように美しい」と書いたのだそう。
その後自身の作品、『軽蔑』『気狂いピエロ』でこのパンショットを真似します。

自分のおぼろげな感覚に、タグ付けするように言葉を添える。
自分の感情にしっかり、ふさわしい言葉を見つける。
何も無い水平線へのパンショットを「永遠への挙手」と感じ取るには、何が必要なのか。


『リンダ』初見時、なんで自分がこのシーンに気持ちがざわついているのかさっぱり分かりませんでした。
ただ凄いとは思った。それを言葉に出来なかった。
ただ、土手を歩くだけのシーンにしっかり衝撃を受けることが出来た10年前の自分。こいつをまず褒めてあげよう。自画自賛。

10年経って、拙いながらも言葉に出来るようにはなったけど、それを追い越すように、ますますこのシーンの素晴らしさに気付く。言葉が追いつかない。見つからない。
50年後にはバシっと言葉に出来てたらいいなぁ。


それにしても「永遠への挙手」
なんて素晴らしい言葉。






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