2013/アメリカ 上映時間143分
監督:ザック・スナイダー
脚本:デヴィット・S・ゴイヤー
原作:クリストファー・ノーラン
デヴィット・S・ゴイヤー
製作:クリストファー・ノーラン
エマ・トーマス
製作総指揮:ロイド・フィリップス
トーマス・タル
音楽:ハンス・ジマー
キャスト:ヘンリー・カヴィル (カル=エル/クラーク・ケント)
エイミー・アダムス (ロイス・レイン)
マイケル・シャノン (ゾッド将軍)
ラッセル・クロウ (ジョー=エル)
ケビン・コスナー (ジョナサン・ケント)
ダイアン・レイン (マーサ・ケント)
79点
"(スーパーマン+ダークナイト)÷マトリックス"
悩ましい。悩ましいぞこの映画。
試写で1回、3DとIMAX 3Dで2回の計3回観に行ってしまいました。
何で3回も観たかというと、単純にIMAXを体感したかったのと、観る度感想が変わっていったからです。
1回目はリチャード・ドナー版を観た状態で、2回目は『スーパーマンⅡ 冒険編』を、3回目はシリーズ全て観た状態で鑑賞しました。
結果出た答えは、非常に悩ましい。
煮え切らない点数に全てが表れてます。うーん、悩ましい。
なぜ悩ましいのかを、これからつらつらとつづっていきます。
ちなみにリチャード・ドナー版『スーパーマン』の感想はこんな感じです。
クリストファー・リーブ”スーパーマン”
まず言っておきたいのが、シリーズを全て観て、もの凄くスーパーマンを、特に初代スーパーマンを演じたクリストファー・リーブ版がお気に入りになってしまったと言うことです。
映画としてのテイストは、シリーズ後半に行くにつれてどんどんおかしくなっていくんですけど、ゾッド将軍と戦う”Ⅱ”も、コメディ路線の”Ⅲ”も、スーパーマンが軍縮を訴える”Ⅳ”も、どれもそれぞれ魅力的なんですよ。
その魅力の根源は、なんと言っても”初代”を演じたクリストファー・リーブと、彼が演じたクラーク・ケント/スーパーマンのキャラクター性だと思います。
とにかくキャラクターとして魅力的。そしてその魅力を体言しているクリストファー・リーブ。
4作品全て、ラストは宇宙を飛ぶスーパーマンがカメラを向いてニコッと笑うショットで終わるんですけど、もうそれだけで魅力満点。
最後の『スーパーマンⅣ 最強の敵』を見終わった時、なんだか毎週観ていたドラマが終わってしまうような、楽しく読んでいた小説を読み終わってしまう時のような、何とも言えぬ虚脱感に襲われまして、もの凄く寂しくなったんですよ。
そのくらいちょっと『スーパーマン』がお気に入りにってしまいました。
ヤングクラーク・ケント
そこでやっと本題。
今回の『マン・オブ・スティール』、どうだったかと言いますと。
まず、スーパーマンが”スーパーマン”であるという描写がないんですよ。
ここで言うスーパーマン性と言うのは、ヒーローがスーパーパワーで市井の人々の危機を助けること。戦闘と言うより救出。
その助けるという行為には、主義や主張、もっと言うと善悪も無いのです。
だからこそスーパーマンは、人間が目指すべき象徴であり、人々はあこがれ、尊ぶのであり、他のヒーローの頂点に君臨する所以であるのでしょう。
ではこの作品でスーパーマンはどう描かれているのかというと、一人の”人間”として描かれているのです。
それを端的に表す象徴的なシーンが、クラーク・ケント/スーパーマンが教会に行き、気持ちを吐露する場面です。
神にも等しい存在であるスーパーマンが、神に助言を求めに教会へ行く。明らかに意図的に、演出として描かれていて、作り手側はスーパーマンを、地球で育った”人間”の心を持つ者としています。
南極でのスーツ初登場は初代でもありました
スーパーマンを”人間”として描くことで物語は、もしスーパーパワーを持つ者が地球にいたならば、我々人間はそれを受け入れるだろうか。そして、スーパーマン自身のアイデンティティーの選択へと着地します。
人間とは違う力を持つことは、他者の人生を変えることにもなる。
そのことを自らの命をもってクラークに教える父のエピソードは良かったし、ケント自身の苦悩も、”人間”として描くことで深みも出たと思います。
ただ後半、同胞であるゾッド将軍等との戦いに話が移ると、とても腑に落ちないというかなんというか。
今作でも宇宙での飛行シーンはありました
ゾッド将軍との戦いは、『スーパーマンⅡ 冒険編』でも描かれていますが、その前作の『スーパーマン』では、絶体絶命の市井の人々を助け、スーパーマンは人々のヒーローとして描かれています。だから人気者で、愛されている。
でも、『マン・オブ・スティール』では、人々にスーパーマンが認知される前に、いきなりゾッド将軍が攻めて来る。スーパーマンを追って。
うーん、地球人からすると、はた迷惑な話ですよね。
だって、宇宙人が地球に住み着いてるって言って、攻め込まれて、めちゃくちゃにされるんですよ。戦ってはくれても、いやいやあなたのせいだからってなりませんかね。
だからもっと、スーパーマンにレスキューの活躍をさせるべきだったんですよ。
そして、人々に愛される存在にする。
でもそうしてしまうと、この作品のテーマであり他の作品との違いである、スーパーマンのアイデンティティーを巡るお話が揺らいでしまう。
うーん、悩ましい。悩ましい限り。
一番『マトリックス』ぽかった
映像面で言うと、巷ではドラゴンボールみたいだって言われているらしいですけど、自分は読んだこと無かったので問題無かったです。
むしろ『マトリックス・レヴォリューションズ』に観えましたね。
空中戦だとか、後半の伸びる金属の触手はたぶん意識してるんじゃないですかね。
ローレンス・フィッシュバーンのキャスティングは、なんて邪推も。それはさすがに無いか。
ヘンリー・カヴィルに文句は無し!!
スーパーマンとして観ると確かに文句の一つも出る作品だと思います。
でも、個人的な好みの話になってしまうんですけど、こういうヒーローのリアル化、自分、結構好きなんですよね。
だから、なんでクリプトン星なのに英語喋ってんだよとか、マントっているのかなとか、リアル化で生じる多少の腑に落ちないポイントも目をつむれるんです。いいんです。
それに、クリストファー・リーブでなくても、スーパーマン然とした佇まいの役者さんがいれば、もうそれでいいんですよ。
その点で今回のヘンリー・カヴィルは個人的には文句無しで良かったです。
初めて飛行するシーンも壮快だったし。
この先、どういう形でカル=エルが”スーパーマン”へとなるのか。
それはバットマンと共演する次作にということで、期待も込めて79点。
人工衛星の『W』の文字、しっかり確認しました。
なんだかんだで待ちきれない!!
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