『Jupiter Ascending』
2015/米 上映時間127分
監督・脚本・製作:ラナ・ウォシャウスキー
アンディ・ウォシャウスキー
製作:グラント・ヒル
製作総指揮:ブルース・バーマン
ロベルト・マレルバ
音楽:マイケル・ジアッキーノ
撮影:ジョン・トール
編集:アレクサンダー・バーナー
キャスト:チャニング・テイタム
ニラ・クニス 他
40点
”え!?私が女王様!!”
最寄りのTOHOにてTCX&ドルビーアトモス環境で鑑賞。
今年見た映画の中で全力フルスイングで駄作です。
粗の部分を可愛げと捉えることももしかしたら出来るのかもしれないけれど、現時点ではそれも難しいかも。
何が駄目なのか。
穴ぼこだらけの脚本と、見てるこっちが恥ずかしくなってくるデザインかなぁ。
まず何に驚いたって映画の頭も頭。
ジュピターの両親が自宅にて強盗に襲われる場面の段取り的なテンポの良さ。おもわず苦笑。
これがあと二時間続くのかと少し頭が痛くもなりましたが、思い返すとこんなものはまだ楽しいもので。
何が駄目って脚本。
端的に言って、お話が本来持ってる骨格に対して贅肉部分が余りに多過ぎる。
今作のあらすじを自分なりにまとめるこ今作は、本来王となる資格を持っていた者が、自分の運命に気付き、偽りの王と対決し、勝利、成長する話。古典中の古典な訳ですよ。
これをストレートに描いてくれれば楽しい作品にもなったものを、回収しきれない要素が多すぎて観ていて煙に巻かれてくる。
凄く乱暴なことを言うならば、真ん中の一時間、いる??
前半部分はジュピターが己の出自に気付いて、未知の世界に触れていく導入。
後半が偽りの王の策略を策略を止めるクライマックス。
それに対して中盤は、八割が固有名詞を含んだ説明台詞の応酬と、本編と直接絡みのないエピソードの羅列。
今作に登場する王族は3人兄弟で、ラストのボスに当たるのがその長男になるんですけど、映画はその兄弟に順番に会いに行き、何か説明を受けて、また違う兄弟の元へ。
ジュピターの行動に合わせて映画もあっちにいったりこっちに行ったり。
そこで繰り広げられるのはただの世界観の説明。
観ていて思わず笑ってしまったのは、2人目の兄弟に会いに行って放たれた「ちゃんと説明されてないだろうから」の台詞と、そこから続く説明。
おい勝手か。勝手なのか。
SF的な世界観を広げるのが固有名詞を含んだ説明台詞だと思ったら大間違いだぞ、とウォシャウスキー姉弟作品にこんな文句を付ける日が来るとは…。
この真ん中部分をスポっと抜きさえすればそれなりの『マトリックス』的な作品になる気はするんですよ。その志で良いのかって話は置いておいて。
そんなことは姉弟も分かっていたんだと思います。
それでも姉弟がやりたかったこと。
それは、え!?実は私ってお姫様なの!?なシンデレラストーリーですよ。
『ハンガー・ゲーム』が大ヒットしている昨今、ティーン受けを狙ったのかどうかは知りませんが、あの結婚式乱入の件を見る限り、そのセンスはないんだなと思わずにはいられない。
クライマックスのスケールダウン感も気になるところ。
今作では人間は作物で、地球はそろそろ収穫の時期なんだとか。
なるほど、じゃあクライマックスは収穫をしにやって来た敵達と、それを食い止めようとするジュピター達の戦いになるのか!
と思っていると、敵の親玉はなんとジュピターの家族を拉致すると言うなんともせせこましい嫌がらせをしてくるではありませんか。そこから話はジュピターとその家族の救出に。
風船がしぼむようにお話が小さくなっていきましたとさ。
その他思わせぶりなだけの設定が多過ぎる。
ただこっちが混乱するだけなのでそう言うのは止めて下さい。
SF映画の魅力はデザインが9割!
世界を丸々一つ作り上げる訳ですから。
その点で今作は、なんと言いますか、ダサいというより恥ずかしい。
特筆すべきはペ・ドゥナの格好。
あのゴーグルの感じ、本当に涙が出るほどダサい。
全体にさらっと上辺をなぞっただけの資本主義批判にも苦笑。
やりたいことは一つに絞ろうよ。
<あらすじ>
宇宙最大の王朝に支配されている地球。家政婦として働くジュピターは、何者かに襲われたことをきっかけに、自身がその王朝の王族であることを知る。王朝ではバレム、タイタス、カリークというアブラサクス家の3兄妹が権力争いを繰り広げており、それぞれが自身の目的のためジュピターを狙っていた。ジュピターは、遺伝子操作で戦うために生み出された戦士ケイン・ワイズに助けられながら、アブラサクスの野望から地球を守るために戦いに身を投じていく。
映画.comより
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