2014年4月30日水曜日

映画 クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん


映画 クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん
2014/日本 上映時間97分
監督:高橋渉
脚本:中島かずき
撮影:梅田敏之
編集:村井秀明
原作:臼井儀人

キャスト:矢島晶子
ならはしみき
藤原啓治
こおろぎさとみ


85点




”『アナ雪』もいいけど『しんちゃん』もね”



目下大評判中の今回の劇場版クレヨンしんちゃん。
中にはあの二つの大傑作、原恵一監督作『劇場版クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!大人帝国の逆襲』と『劇場版クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』に並ぶ出来だとする人もいたりして、これは観に行かねばならぬと、10年以上ぶりにしんちゃん劇場で観て来ました。

はい、大変素晴らしい映画でした。
笑えて泣けて、また笑えて。子供も大人も楽しめるとても良い映画です。間違いない。

で、これからつらつらと書いていくんですが、私、アニメ関係には明るく無いもので、今作の脚本は中島かずきさんが書いてるんですけど、過去作との比較等は到底出来ませんし、アニメとしてどうこうと語ることも出来ません。

なので、これからの文章は、あそこよかったよね、あれもいいよね等々、ただ個人的に好きなディテールについて語る感想文以下の駄文なりますのでどうかご了承下さい。
わっしょい。

ネタバレあるので注意です。






個人的に父と子の話は大好物。
ポスターを見た段階で、これは本気(マジ)だなとビンビンに感じてまして。

で、観始めて数分。
ロボットに改造される父ひろし。

普段は邪見にされてるのに、ロボ仕様の疲れ知らずの身体で家事育児をこなしてひろし鼻高々。

なるほどなるほど。
これは後半、どんなに働き者の”ロボとーちゃん”よりも、足がクサくて腰もすぐ痛めるけど、ちゃんとそこにいる生身のお父さんの方がいい、って着地になるんだな。
うおー、もう泣けるー。

なんて、軽く展開を想像しながら観てたんですけど、これが中盤からカーブを描いて予測を裏切って来まして。
この裏切りがまた良いんですよ!!

例えるなら、『ブレード・ランナー』のレプリカントが自分のアイデンティを求めてさまよったように、『A.I』のデイビットが母の愛情を求めて旅に出たように、すごくSFチックな物語に展開していくんです。

要するに、作られた”偽物”にだってアイデンティティはある問題。

中盤自分の力で危機を救うロボとーちゃん。
敵を倒したはいいけど、みさえが駆け寄るのは救出された本物のひろしの方。

あのシーン良かったですねぇ。
胸にクッときました。

最後の腕相撲も、しんちゃんだから許されるベタな展開だけど、良いんですよねぇ。






ギャグも全編冴えてます。
場内全員、大人も子供も声を出して笑ってました。

ゴールデン・ウィークで家族連れがほとんどの劇場内。
後ろから座席を蹴られるのも程よい4DX加減でよかったと思える。
それは映画本編が良かったから。


<あらすじ>
ある日、ぎっくり腰を治しにマッサージに出かけたひろしが、突然ロボットになって帰ってくる。妻のみさえは驚き戸惑うが、ロボットになったひろしは料理も家事もでき、リモコン操作も可能で便利だった。しかし、それらはすべて、家庭での立場が弱くなってしまった日本の父親たちの復権を目論む謎の組織「父ゆれ同盟(父よ、勇気で立ち上がれ同盟)」の陰謀によるもので、やがて正気を失った父親たちによる「父親革命」が勃発。野原家や春日部市は崩壊寸前の危機に陥るが、ロボットのひろしが息子しんのすけとともに立ちあがる。
映画.comより






2014年4月29日火曜日

クローズ EXPLODE


クローズ EXPLODE
2014/日本 上映時間129分
監督:豊田利晃
プロデューサー:山本又一郎
企画:濱名一哉
共同プロデューサー:佐谷秀美
岡田有正

キャスト:東出昌大
早乙女太一
勝地涼
KENZO
矢本悠馬
柳楽優弥 他

45点




”ヤンキーを普通の世界に置いてどうするよ”



三池崇が監督した前二作は割と好き。

観ている間は血が沸いて、拳を握ってみたりもしましたが、しばらく経つと変な映画だったなぁなんて思ったり。でもまた観たくなったり。

特に主演のヤンキー役者陣がみんな良いんですよ。
主演の小栗旬の頼りなさもいい具合にハマってるし、山田孝之のイッちゃってる目は間違いなく百獣の王、芹沢。
高岡蒼甫も良いし、桐谷健太も良い。
『2』の金子ノブアキ、ブレイク前の綾野剛もいい味出してた。

当時としては新しかった『300』を模したアクションシーンもそれなりに見応えあったし。

なんだか思い返すとかなり好きな方かも。

では、今回の新作はどうかと言いますと、個人的には全くダメです。
三池版と比べてどうのの話ではなくて、諸々が不細工で全くダメ。


今作の世界観を一言で表現するなら、迷惑。
本当に迷惑極まりない世界観。

前作前々作だと、我々のような”普通の人々”はきれいに取り除かれていて、存在するのはヤンキーと、その延長のヤクザのみ。
勝つか負けるか、やるかやられるか、白か黒か。
純度高めな漢(おとこ)達の、言わばファンタジーがあったんです。
個人的な解釈だと、あれは彼らヤンキー達の主観映像なんですよ。
彼らには世界がああ見えてるんです。


世界観が徹底されてるから、観ている我々もなんの疑いも無くお話に乗れる。


で、今作ですよ。

仕切り直しをするにあたって、前作の世界観を踏襲しろとは言いません。
ただね、あまりにも中途半端だよ。

オープニングの商店街だとそこら中ヤンキーで溢れ返ってて、町の人がいる気配なんて皆無。
でも、中盤から窓の奥から見える景色に映り込む人、人、人。
喫茶店でヤンキー揃ってミーティング中。その窓の奥に通行人。

かっ、かっこわるい画だこと。

想像してください。
怖い顔したお兄さんの話し合い。そのそとではサラリーマンがとことこ歩いてるんですよ。
所詮お前らはガキだってことを強調してるようなもんでしょ。
本当に間抜けな画。


そこから先はもう諦めたように、普通の人のいる真っ只中で喧嘩が始まったりするもんだから、もうどうしようもない。

ヤンキーを普通の世界においてどうするんだよ。
関係ない人たち巻き込んで本当に迷惑だよ。

巻き込まれる人達が気になって、観てる間のノイズになるんですよ。


その結果どう言う気持ちになるのか。
どうでもよくなるんです。
ヤンキーの喧嘩なんて心底どうでもよくなるんですよ。

そうなったらもう終わりですよ。
もう乗れないですもん。

とりあえず迷惑掛けてすみませんと謝れ。





脚本に向井康介さんが参加されてるからなのか、とにかく無駄に長い会話が多い。
それをワンシーンで見せる。
ヤンキーのだらだら長い真面目腐った会話なんて誰が聞きたい?

向井さんは大好きな脚本家さんです。
特に山下監督と組んで書かれた作品全て好きと言っても良いぐらいどれも大好きです。

ただ、正直今回の題材とは相性悪いのではと思わざる得ない。

向井さんの持ち味は、オフビートは会話から生まれる笑いな訳で、今回の世界観とは食い合わせが悪いですよ。



とは言え、好きなところもありますよ。

勝地涼率いる弱小グループと、それに加わる東出昌大のキャッキャ感は見ていて凄く良かったです。
前シリーズに比べて明らかに劣ってしまう役者陣の中でこの二人は特に良かった。

気の良いチャラいキャラをやらせたらピカイチですね、勝地涼。本当に安心できる。

賛否分かれてるらしいですが、東出くんも凄く良かったですよ。
『桐島』の宏樹よろしく、あの虚無に取り付かれた目に底知れない強さがしっかりありました。

彼らの銭湯でのシーンは本当に大好きです。
あれは良かった!!


早乙女太一も現実のDV疑惑をここで活かせるなんてねぇ。
粋がった一年坊主キャラで、ちゃんとこっちをムカつかせにきてたんで好感持てましたよ。
彼の動きで強さに説得力もあるし。


ただ、その彼らのクライマックスの戦いがあまりにショボ過ぎる。
まず構図が三年vs.一年って盛り上がるかぁ!!!!!!!!

大ボスが早乙女太一なのは分かるし、バイクチームが加わってるとはいえ、それ以外は所詮一年のザコなんだからフェアじゃないだろ。

最後の二人のタイマンでお互いの回想に入るのも不細工だよ。

最後の放火の件の着地も噴飯物。


結果、『桐島』のスピンオフとしてみたらギリ面白いんじゃない。
このくらいのテンションです。

漢の映画でこのテンションはいかんぜ。




<あらすじ>
空席になった鈴蘭高校の頂点の座を目指し、トップに最も近いと言われる男・強羅徹、強羅のライバルとされる高木哲次、お調子者を装う切れ者・小岐須健一、一匹狼の山下甲兵ら新3年生が名乗りをあげる。しかし、3年の転入生・鏑木旋風雄と新1年生・加賀美遼平が現れたことから、校内の勢力図が大きく塗り替えられていく。




2014年4月23日水曜日

白ゆき姫殺人事件


白ゆき姫殺人事件
2014/日本 上映時間126分
監督:中村義洋
脚本:林民夫
製作総指揮:大門正
音楽:安川午朗
撮影:小林元
編集:川瀬功
原作:湊かなえ「白ゆき姫殺人事件」

キャスト:井上真央
綾野剛
蓮佛 美沙子
菜々緒
金子ノブアキ

69点



”ベストなタイミングで映画化”


湊かなえの原作を読んでから鑑賞。

全て登場人物の独白で進む、話があるようで無いこの原作をどう映像化するの?と読みながら誰もが考えるでしょうけど、なるほど、そこを変えると上手くいくのかと納得。

原作の雑誌記者の設定を、テレビディレクターに変更。
そうすれば映像化の意味もあるし、週刊誌と双璧を成す下世話メディアの代表お昼のワイドショー(ミ○ネ屋)なんて良いターゲットじゃないか。
原作だと巻末にただまとめられていたTwitterのタイムラインを画面で見せるのもいいんじゃない。

総じて映像化には成功してると思います。
原作以上に情報が整理されてるから、劇映画としても見やすい作りにもなっています。

ただ、その分原作のいびつさが取れて、普通の映画になっていたのが勿体ない。

この先ネタバレ全開です。ご注意!!!



話と関係ないけど、この井上真央可愛かったなぁ。




原作含めて手法そのものはよくある”藪の中”方式で、一つの事柄を複数の視点から語っていって、次第に事の何かが浮かび上がってくるはずなんですけど、今作だと皆が語れば語る程事実が浮かび上がってこないんですよ。
これが下世話で面白い。

皆が好き勝手話す事件と直接は関係ない事で段々と”城野美姫”のイメージが出来上がってくるんですけど、映画だとその枝葉の部分が省かれちゃってるんですよねぇ。
個人的に原作で一番好きなポイントだったんでとても惜しい。

確かにあれを盛り込むとただただ間延びした映画になりかねないんで、削るのは正解だとは思うんですけどね。


あと、ラストのネタばらしの回想は蛇足です。
火をつけて、「・・・きれい」なんて台詞言わせちゃダメ。
あれじゃ彼女がサイコパスか何かにしか見えないから、見てるこっちは安心出来ちゃうんですよ。
動機は伏せておかないと。全てが腑に落ちたら魅力半減。


最後に、これは原作を読んでても思ったことなんですけど、犯人は城野美姫であって欲しかった。
読後の不快感だったらこれがベストだと思うんですよ。

実は一番最初にタレ込んだ奴が犯人ってのは確かにインパクトありますけど、どうしてもそこでまで。
城野美姫だったらどうです、不快感に徒労感ですよ。










なんだか気付いたら文句多めな上に体温低めの文章になってましたけど面白かったです、
うん。
特に、マスコミがSTAP細胞騒動でとある人を追っかけ、彼女のプライベートまであることないこと書き立ててる今。
この作品を観るにはベストなタイミングでは無いでしょうか。



<あらすじ>
日の出化粧品の美人社員・三木典子が何者かに惨殺される事件が起こり、典子と同期入社で地味な存在の女性・城野美姫に疑惑の目が向けられる。テレビのワイドショーは美姫の同僚や同級生、故郷の人々や家族を取材し、関係者たちの口からは美姫に関する驚くべき内容の証言が飛び交う。噂が噂を呼び、何が真実なのか多くの関係者たちは翻弄されていき……。
映画.comより





2014年4月19日土曜日

アクト・オブ・キリング


The Act of Killing
2012/デンマーク・ノルウェー・イギリス合作 上映時間121分
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
共同監督:クリスティン・シン
製作:ジョシュア・オッペンハイマー
シーネ・ビュレ・ソーレンセン
製作総指揮:エロール・モリス

キャスト:アンワル・コンゴ
ヘルマン・コト
アディ・ズルカドル
イブラヒム・シニク


96点




”自分の中の正義は完全だと言い切れます?”





渋谷のシアター・イメージフォーラムにて鑑賞。

観終わってしばらく経った今、率直な感想としては、本当に心底面倒くさい映画だなと。

この映画が発するメッセージをふとした時にあれこれ考えます。
そして、深みにはまって抜け出せなくなります。
この堂々巡り感は『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を観た時もありましたけど、読後感が全く違うのだからとにかくもやもやする。

まだ自分の中でこの作品に対するしっかりした考えなんて固まってはいないんですけど、この鑑賞直後の熱をどうしても記録しておきたいので、私が何をそんなに考えてるのか、その堂々巡りの過程をレビューとしたいと思います。


この映画の切り口は無数にあります。
歴史を見るのか、人間の倫理から見るのか等々、見方を変えてみれば全く異なる印象も受けるでしょう。

ラストのあるショッキングなショットについてがっつり言及してますので、ご注意下さい。


因に、映画評論家の町山智裕さんは、今作が今年の暫定ベストだとTBSラジオたまむすびに出演した際に公言されていました。
その時の猛プッシュの様子を動画として貼っておくので是非お聴きを。
当時のインドネシアの情勢、今作の製作背景等、町山さんの説明を聴けばばっちりです。







今作はドキュメンタリーです。

1960年代、インドネシアで秘密裏に行われた100万人規模の大虐殺。
その実行者達は、今のインドネシアにおいて国民的英雄として扱われ、今も優雅な暮らしをしています。

今作の監督ジョシュア・オッペンハイマーは彼等にこう提案します。
「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」
提案に喜んで応じ、カメラの前で喜々として過去の行為を語りだし、虐殺を再現してみせる彼等。
しかし、過去の演技を通して、次第に変化が・・・。


ってどうですどうです。
想像するだにゾッとするでしょ、興味をそそられるでしょ。


ただ、題材が題材なだけに終止淡々としたテンポでカメラが回るんですけど、これがまた観賞後の後を引くぐったり感に繋がって心底不快。

虐殺の当事者達は、カメラの前で当たり前のように、本当に嬉しそうに過去の行為の数々を語るんですよ。見た目はどこにでもいるようなおっちゃんが。
実際の殺害現場にスタッフを連れて行って、小躍りしてみせたりするんです。

その淡々とした様子と、製作してる映画の滑稽さも相まって、思わずなんだか笑っちゃうんですね。
で、観終わって心底ぐったりして、ゾッとしてる。






では、何でそんなにぐったりしたのか。
何をそんなにあれこれ考えるのか。

それは、彼等を含めた我々人間の中にある善悪の果てしないグレーゾーン。
これに心底ゾッとするんです。


劇中でも言及がありますが、彼等は元々街の小悪党。
アンワルは映画館でダフ屋をやっていた青年だったんです。
思うに、彼は至って普通の青年だったのではないでしょうか。

そんな彼が、軍の要請によって共産主義者を1000人殺害し、”英雄”に。

状況と力が、彼等を殺人集団に変えたんです。


つまりどう言うことか。
元々絶対のものだと思っていた、我々の中にある善悪の基準、価値観でさえも、状況次第では簡単に変化すると言う事です。
これは、命への価値観が変わるとも言えると思います。


「人をなぜ殺してはいけないのか?」と言う問いがあるとします。
あなたはどう答えますか?

相手の人生を奪う権利は無いから。
法律で定められてるから。

色々な答えがあるでしょう。
そんな理屈をこねる以前に、そんなこと考えるまでもない当たり前のこととして私達は認識をしているはず。

そんな当たり前のことですら揺らいでしまうんです。
この映画、そしてそのラストが映し出すものは、人間の善悪の狭間で揺れるアンワルの心です。


彼等と同じ状況放り込まれて、誰が絶対と言えますか?

善悪の基準は白と黒では無いんです。
果てしなくグレーなんです。

そのことを今作にまざまざと見せつけられて、もの凄くげんなり。


我々と彼等を隔てる壁なんて存在せず、我々にだってああなる可能性は恐ろしい事にあるんです。
誤解を恐れずに言うならば、私だって彼らのようになりうるんです。
あなただってそう。
我々全員そうです。

居心地が悪い。



勿論これは、彼等が人間そのものとしての話。
奴等の行った行為それ自体は間違いなく悪です。
裁かれるべき悪です。








ラスト、再びアンワルは冒頭で殺害方法を嬉しそうに語り、小躍りをしてみせた現場にやって来ます。
ただ、今度は過去のことを話す度に突然嘔吐きだすんです。何度も何度も。

映し出されたその光景は、アンワルの良心と自分が行った行為への嫌悪ではないでしょうか。


完全な善が無いように、完全な悪は無いのだと思います。
時代と状況から影響を受けながら、その間のグレーゾーンをさまよう善悪の基準。


ではどうすればいいのか。
それは、絶えず自分の頭で考える事。
間違いなくこれしかないです。





<あらすじ>
1960年代インドネシアで行われた大量虐殺を加害者側の視点から描いたドキュメンタリー。60年代、秘密裏に100万人規模の大虐殺を行っていた実行者は、現在でも国民的英雄として暮らしている。その事実を取材していた米テキサス出身の映像作家ジョシュア・オッペンハイマー監督は、当局から被害者への接触を禁止されたことをきっかけに、取材対象を加害者側に切り替えた。映画製作に喜ぶ加害者は、オッペンハイマー監督の「カメラの前で自ら演じてみないか」という提案に応じ、意気揚々と過去の行為を再現していく。やがて、過去を演じることを通じて、加害者たちに変化が訪れる。






2014年4月18日金曜日

ドン・ジョン


Don Jon
2013/米 上映時間90分 R15+
監督・脚本:ジョセフ・ゴードン=レヴィット
製作:ラム・バーグマン
製作総指揮:ニコラス・シャルティエ
ライアン・ガバナー 
タッカー・トゥーリー
編集:ローレン・ガバーマン
美術:メイガン・ロジャース
衣装:リア・カッツネルソン

キャスト:ジョセフ・ゴードン=レヴィット
スカーレット・ヨハンソン
ジュリアン・ムーア
トニー・ダンザ 他

69点



”ジョセフ流アダム徳永のすすめ”




ジョセフ・ゴードン=レビット初監督作品。
どうなんでしょ、どうなんでしょ。

シネマライズにて鑑賞して来ました。

ああ、こう言うのがやりたいんだろうなぁ。
こういうことが言いたいんだろうなぁ。
等々、とにかくジョセフが目指すものがビンビン、しつこく、濃く伝わって来ました。


今年公開の『17歳』『愛の渦』『ドン・ジョン』の3作。
個人的には"ある種のテーマ"が綺麗に3部作で完結した気がします。

そのテーマとは、『性』!!



"10点女”スカーレット・ヨハンソン




『17歳』が思春期の危うい性の目覚め。
『愛の渦』が性欲に振り回される人間とそこから起こる悲喜劇。

そして、この『ドン・ジョン』でジョセフが描き出そうとしたものは、男女にとっての真のセックスとは。
で、最終的に導き出された答えは、お互いを思い合った思いやりのある行為。


つまり今作はズバリ、ジョセフ流アダム徳永のすすめです。


顔も身体も100点の女スカーレット・ヨハンソン。
もう年だけど、抜群の包容力で包み込むジュリアン・ムーア。

セックスでお互いが満足出来るのは、ジュリアン・ムーア。

何が違うのか。年上お姉さんの方が良いのか。

いいえ違います。
それは、お互いを思いやることが出来るかどうか。
「優しさを見せつけ合う」ことが出来るかどうか(ミスチル「Sign」からの引用)。

ん!?
こ、これは正に、アダム徳永のすすめじゃないか。
ジョセフは真理に気付いたのです。



毎夜クラブに繰り出して狙った女をお持ち帰り、そしてハッスルハッスルのジョン。
ただ、誰と寝ても、何度寝ても満足が出来ない。

自分が完全に充足出来るのは、自分の思い通りに事を進められる自慰行為だけだと、毎日毎日ポルノサイトにアクセス。
お気に入りの動画を見つけては、ティッシュを消費する毎日。

Macを起動し、ブラウザを立ち上げて、動画を物色。ナニを触って、テッシュで拭き、ゴミ箱へポイ。



もはやルーティンワークとなった日々のオナニーを繰り替えし繰り返し、テンポのいい編集で見せるんですけどこれが中々小気味良くて気持ちいい。
「Macの起動音を聞くだけで俺は興奮するんだ」は笑えました。


そんな彼が”100点の女”スカーレット・ヨハンソンと出会って付き合い、焦らされ焦らされ、こんなに焦らされたんだからきっととてつもない夜が待ってるに違いないと期待を膨らませ彼女との初めての夜を迎える訳ですが、あ、あれ??いつもと一緒じゃないか。
なんでだ、どうしてだ!と、結局いつも通り自慰行為で満足、な最中をなんと彼女に見られてしまい三行半を突き付けられついに破局。

そんな中、夜間学校で自分のポルノ趣味に理解を見せるジュリアン・ムーアに出会い、スカーレット・ヨハンソンとの破局をきっかけに距離を縮めるジョセフ。

で、しばらくして彼女の家に行き一緒に寝る訳ですけど、ある自分の暗い過去を告白されるんです。
それを受け止め、相手の事を考えてのセックスを覚えたジョセフ。

そして気付くのです。
答えはスローセックスにあったのだと(違いますよ)。




”姉御”ジュリアン・ムー



お話は着地も含めて嫌いじゃない。
若干、まあそうなるよねと感じましたが。

ただ、キャラが皆生きた人物に見えない。
あんなに濃い演出でキャラを描いてたのに、観終わってしばらく経ちますが全く記憶に残ってない。
どんなキャラだったか思い出せない。

表面的なことを言えば、劇中で彼らがどんな生活をしてるのか全く分からないんですよ。
割とリッチな生活をしてるのに、仕事をしてる描写が無いし、普段何をやってる人なのか分からない。
全員そうです。
これは描き込みの部分。

演出に関しても、テンポの良い編集で場面を見せるのはいいんですけど、さすがにクドいです。若干食傷ぎみ。
ジョセフのキャラに関しては、日々をルーティンの様に過ごす人物として描かれてるのでこれはわざと何でしょうけど、結果作品自体の体温が終止低いままなのは勿体ない気が。

だとしたら、最後の愛のあるセックスをしっかりと描くべき。
そこで暖かみのある落差を付けないと、全体が平坦な印象になるのは仕様がないかなぁ。


作品全体から、今作を撮れたジョセフの嬉しさはガンガン伝わって来ました。
チャニング・テイタム、アン・ハサウェイのカメオ出演もお祭りみたいでいい。
これでいい。

個人的には、『17歳』で性に目覚め、『愛の渦』でその衝動に振り回されたりもしたけど、『ドン・ジョン』で愛を知った、てな感じで綺麗に落ちましたんで、とても楽しめました。
3部作で観ると面白いかも。


<あらすじ>
家族関係も良好、教会にもきちんと通う真面目な青年ジョンは、女性に関して負け知らず。周囲からは伝説のプレイボーイ、ドン・ファンにちなんでドン・ジョンと呼ばれていた。それでも満足できないジョンは、毎日ネットでアダルトビデオを鑑賞して自慰行為にふけり、理想の性生活を追い求めている。そんなある日、全くタイプの異なる2人の女性と出会ったジョンは、セックス以上の人生と愛を知ることになる。
映画.com





2014年4月11日金曜日

ウォルト・ディズニーの約束


Saving Mr.Banks
2013/米・英・豪 上映時間125分
監督:ジョン・リー・ハンコック
脚本:ケリー・マーセル
スー・スミス
製作:アリソン・オーウェン
イアン・リー 他
製作総指揮:クリスティーン・ランガン
トロイ・ラム 他
音楽:トーマス・ニューマン
撮影:ジョン・シュワルツ
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ

キャスト:エマ・トンプソン
トム・ハンクス 他

86点



”物語の力であなたを救う”



軽い気持ちで劇場へ行ったら、まんまと泣かされて帰って来ました。

もう昔みたいに無邪気に『メリー・ポピンズ』を観れなくなってしまいました。

雲からふわふわとやって来てなんだかすごく楽しいぞ!なんてこと思いながら小さい頃から観てましたけど、そんな思いを込めてたなんて聞いてないよ。

フィクションにしか癒せない傷がある。
物語の力に共感。
傷を癒すファンタジーの力に涙。

『メリー・ポピンズ』含め、今作のネタバレ全開なのでご注意を。



なんでそんなこと言う!?ってぐらい嫌な奴だった作者トラヴァース。でも・・・。




原題の『Saving Mr.Banks』とは何か。
日本語に訳すと、『ミスター・バンクスを救う』

ミスター・バンクスとは、『メリー・ポピンズ』に登場する、銀行に務める厳格男。
ジェーンとマイケルのお父さんのことです。

原題の『Saving Mr.Banks』とは、意訳をするならば、『父を救う』と言う意味。

うん、確かに『メリー・ポピンズ』のラストでは、あんなに厳しかったお父さんがジェーンとマイケルと一緒に凧揚げをして終わる。
それが救われたことなのかい??

そうなんです。

今作で次第に明らかになるのは、原作者トラヴァースにとって、メリー・ポピンズを含め登場人物達は皆実在の人物であって、それは自分の家族そのものであること。
バンクスとは自分の父のことなのです。

この、『メリー・ポピンズ』の元となったトラヴァース自身の過去が回想で描かれるんですけど、そこには『メリー・ポピンズ』にあった無邪気な救いは何も無いんですよ。

優しかったお父さんは酒浸り。
銀行の仕事を放っておいて娘と遊び、家計は圧迫。
そして病いに倒れて、看病の甲斐も空しく亡くなる。

現実は全く甘くはありません。

しかし、トラヴァースは小説『メリー・ポピンズ』を書き、物語の中で父を救うのです。

つまりトラヴァースは、実際には救う事が出来なかった父への思いを『メリー・ポピンズ』に込め、物語の中で彼を救済しようとしたのです。

するとどうですか。
あの能天気なラストに胸がクッと疼くでしょ。



彼女の思いを知るにつれてこっちの感情は反転




彼女にとって、『メリー・ポピンズ』は極私的な物語。
映画化を頑に拒むのは、ヘタな映像で自分の思いを汚されたくないから。
ハリウッドで”帝国”を築き上げてるディズニーなんてもってのほか。

でも、ウォルトの気持ちに触れ、ディズニーがファンタジーに掛ける気持ちによって『メリー・ポピンズ』が包まれた時、私的な物語は、凄く普遍的な物語へと昇華したんです。

ただ、それもこれも元をたどれば、世界中でただ一人の父へ向けた思いに寄るものだったなんて。

プレミア試写のシーンで、トラヴァースが泣き出すのと同じタイミングでおいおい泣いてしまいました。
えーえーいーやーもらい泣き。








ラストの雲のショット。
あれはズルいです。



<あらすじ>
ウォルト・ディズニーは娘が愛読している児童文学「メリー・ポピンズ」の映画化を熱望し、原作者パメラ・トラバースに打診するが、トラバースは首を縦に振らない。やがてイギリスからハリウッドへやってきたトラバースは、映画の製作者たちが提案する脚本のアイデアをことごとく却下。なぜトラバースは「メリー・ポピンズ」を頑なに守ろうとするのか。その答えが、幼い頃の彼女と父親との関係にあると知ったディズニーは、映画化実現の最後のチャンスをかけ、トラバースにある約束をする。
映画.com






2014年4月9日水曜日

ローン・サバイバー


Lone Survivor
2014/米 上映時間121分
監督・脚本:ピーター・バーグ
製作:ピータ・バーグ
サラ・オーブリー 他
製作総指揮:ジョージ・ファーラ
撮影:トビアス・A・シュリッスラー
編集:コルビー・バーカーJr.
原作:マーカス・ラトレル
パトリック・ロビンソン

キャスト:マーク・ウォールバーグ
テイラー・キッチュ
ベン・フェスター
エミール・ハーシュ 他

80点



”共感装置としての痛み”


評価割れてます。
批判意見の主なものは、これは結局米国のプロパガンダ映画だと。
擁護の意見としては、そこを越えてしっかり描かれてるものがあると。

批判されてる方は、結構しっかりした論理でもって意見されてるので、聞けば聞く程に否の意見に流されかけたんですが、鑑賞した自分の意見は、凄く良かったですし、プロパガンダだと流されない映像そのものの強さがあると強く感じました。

予告での「『プライベート・ライアン』以来の傑作!」ってねぇ、これまた大きく出たもんだ、なんて思ってましたけど、いざ観てみると、うん、それも納得。

とにかく観る側の痛覚を刺激してきて痛いんだ、この映画。

この映画のキーワードはこれです。”痛覚”です。






『プライベート・ライアン』と『ローン・サバイバー』に共通するもの。
それは、観る側の痛覚を刺激する痛み表現、銃弾が四方から飛び交う音、その状況に否応なく放り込まれる登場人物達です。

特に『プライベート・ライアン』では、冒頭20分で描かれるノルマンディー上陸作戦のあまりに悲惨な様子。


四方から飛んでくる銃弾に倒れる仲間。
飛び出た内蔵を拾う者、千切れた腕を持って呆然と歩く者、死の恐怖に発狂して母親の名前を叫ぶ者、散らばる身体の欠けた死体。

観ている我々は、映画内の登場人物共々戦場に放り込まれ、周りで起こっている事態を飲み込めもせず、ただ生きる為に銃を取るしかないのです。

なぜ戦争をしてはいけないのか聞かれたら、私はこう答えます。
『プライベート・ライアン』を観たからだと。

私はあんな所には死んでも生きたくないです。
もし観ているにも関わらず戦争に行きたいなどと言う人がいるのであれば、その人は相当な馬鹿だとしか思えません。

『プライベート・ライアン』が発する強烈なメッセージは、声高な主張なんかではなく、ありのままのリアルを視覚的に見せることで出来た、映画だからこそ成し得た奇跡、力強い一撃なのです。

戦争はいけないよ、人を殺しちゃだめだよ。
口で伝えることも確かに大切です。

でも映画だったら、目でちゃんと見せなきゃ。



冒頭20分の映像を貼っておきますが、残酷描写が多く含まれるのでご注意下さい。
因に、テレビ朝日にて地上波初オンエアされた際は、冒頭に注意が流れ、ノーカットにて放送されました。
その心意気に拍手。









話が大きく大きく逸れました。
戻しますと、『プライベート・ライアン』、特にその冒頭にあった描写が『ローン・サバイバー』にはあると。


今作で特に共通するのは痛み表現ですね。

逃げ場を無くして崖に追い詰められて、やむなく転がり落ちるシーンがあるんですけど、これがとにかく痛い、痛い。
尖った岩に背中を打ち付けたり、堅い地面に落ちたりと、想像するだけでも背中がゾクッットするシーンの連続、しかもいやらしくスローで見せたりして、観てて思わず声が漏れて顔が歪みます。

逃げたと思ったら、四方から急に銃弾が飛んでくる。
ここ音響は素晴らしかったです。

また崖に追い詰められて転がる。
また痛い、痛い。

手を打たれた、痛い。
足を撃たれた、痛い。

痛い、痛い、痛い。
とにかく痛い。


前述の通り、この痛み描写は戦争映画には不可欠だと思ってますし、そもそも残酷描写は、誰もが感情移入出来る共感装置としても機能するものなので、否応無くのめり込んで登場人物に思い入れてしまう。

だから心底助かってくれと願ってしまう。

これは映像だからこそ出来る映画の技。







ただ、明らかに美談めいて着地させたラスト。
こころ観ると、プロパガンダと言われても無理も無いかなと、思わなくもない。

特に、ゼロ・ダークサーティ』『キャプテン・フィリップス等々、割とグレーな着地を見せる最近のハリウッドのトレンドからすると、如何にも「ヒロイズムの国アメリカ」を感じさせるこのラストは、急にお話が甘くなる。

ただ、ただですよ。
やっぱり中盤で描かれたドラマには政治的な主張なんて皆無で、ただ逃げることに夢中な奴らのドラマな訳ですよ。

よって、私はこの映画好きです。


ピーター・バーグ、前作は『バトル・シップ』ですよ。
あのエイリアンからすると、成長したじゃない。
馬鹿なエイリアンも大好きですけど。



<あらすじ>
2005年6月、アフガニスタンの山岳地帯で偵察活動中の4人のシールズ隊員は、あるひとつの決断によって、200人を超すタリバン兵の攻撃にさらされることになる。極限の状況を生き延び、奇跡の生還を果たした唯一の隊員マーカス・ラトレルが執筆し、全米ベストセラーとなったノンフィクション「アフガン、たった一人の生還」が原作。テイラー・キッチュ、エミール・ハーシュ、ベン・フォスター、エリック・バナらが共演。

映画.comより






2014年4月4日金曜日

LEGO® ムービー


The Lego Movie
2014/米・豪・丁 上映時間100分
監督・脚本・原案:フィル・ロード
クリストファー・ミラー
製作:ダン・リン
ロイ・リー 他
製作総指揮:アリソン・アベイト
マシュー・アシュトン 他
音楽:マーク・マザーズボー
撮影:バリー・ピーターソン
編集:デイヴィット・バロウズ 他

キャスト:クリス・プラット
ウィル・ハレル
エリザベス・バンクス 他

100点



”Everything is Awesome!!!!!!!!”





100点。
間違いなく年間ベスト。
既に3回観ています。
新宿ピカデリーで観た回はサービスデーもあって場内満員。
しかも皆大笑い。

必ず、必ず観てください。
面白さは保証します。

特にお父さん。
お子様を連れて行ってあげてください。
そしてお父さんが泣いてください。



私がまだ幼稚園に通う前の小さな話。
初めて手にしたオモチャが、LEGOのレーシングカーでした。
おぼろげながら、黒い車だったことを覚えています。

幼稚園に上がり、買ってもらったのはLEGOの赤いバケツ。
その頃から友達と家で遊ぶようになった私は、当然LEGOで友をもてなしをしました。

小学生。
それまでLEGOが全てだった私はこの時、この先の人生を半ば決める様な大きな出会いをします。

映画です。

テレビの洋画劇場、週末に家族で観るレンタルのビデオ、そして劇場。
その頃は今以上に、毎日毎日いろんな映画を観ていました。


図書館で借りて来た『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart2』に、私は度肝を抜かれました。


”は、話が全く分からない”


当然です。
だってPart1を観てないのだから。

しかし当時の私はバカだったので、これは自分の読解力の無さが問題だとして、繰り返し繰り返し鑑賞。
返却期限が来たら返し、棚に戻った瞬間にまた借りて、そしてまた観ました。

なぜマーティが2人いるの?
未来に戻ったはずのマーティーはなんで道の向こうから戻ってくるの?

分からない。
分からないけど、とにかく空飛ぶデロリアンがかっこいい!!
当時の私はバカだったのです。


私は夢中でLEGOのデロリアンを作りました。

色を揃えるなんてセンスはその頃皆無だったので、フォルム重視でちぐはぐな色のデロリアンが完成。
自分のLEGOの街に時計台も作りまして、デロリアンを走らせました。

他にもスター・ウォーズ(まだLEGOでシリーズが出る前)等々SF映画で気に入ったマシン、街。
邦洋問わず、気に入った映画をLEGOで再現する遊びを覚え、あの『リング』でさえ、ラストの高山竜司の部屋を再現して友達とゲラゲラ笑ってました。

映画を深く好きになるきっかけはLEGOだったし、その逆もまたあって、私は90年代を映画とLEGOと共に駆け抜けたのです。

(ちなみに、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart2』の謎は、Part1を観たことで体中に電撃が走るような快感を感じながら全て綺麗さっぱり解けました)


皆がファミコンで遊んでようがお構いなく、理解ある友人達と、毎日毎日LEGOで遊ぶ。
幸いにも、その当時の家のテレビは端子が壊れていて、もしファミコンを買うとなるとテレビごと買い替える必要があったので、そんな高い買い物するならお前はLEGOをやってなさいと、ゲームの代わりに我が家ではLEGOが充実していました。

LEGOへの愛は今も変わりません。
LEGOが無ければここまで映画を好きになっていなかったでしょう。


だから、だからですよ!!!!
私にとっての二大好きな物、LEGOと映画がタッグを組んだとなれば、これはもう100点なんです。
私には100点を付ける権利があるんです。

とは言え、観る前は「今年のベストはレゴムービーだから」と、半ば冗談めかして言ってました。
で、いざ観たら本当にベスト級なんだから驚いた。

そりゃそうだ、だって監督はあのフィル・ロードとクリストファー・ミラーなんだから!!!!!!!!!!



フィル・ロードって誰?
クリストファー・ミラーって何者??

あの傑作コメディ『21ジャンプ・ストリート』の監督コンビですよ!!
チャニング・テイタム、ジョナ・ヒル主演でアメリカにて大ヒットしたのにも関わらず、日本ではDVDスルーとなった不遇の作品。

この2人が今作『レゴムービー』の監督だと聞いた時、これはもらったと、傑作になるに違いないと確信。



『21ジャンプ・ストリート』『くもりときどきミートボール』に見られた、毒っけのある大人向けなギャグ満載。それでいて緻密なストーリーテリングでぐいぐい話を引っぱり、張り巡らした伏線を快感すら感じる手際で回収する。
間違いなくそんな作品になるだろうと。

はい、ここに断言します。
正に予感は的中しました。
その全てが『レゴムービー』には見事に入ってます。


・めくるめく、キネマの思ひ出/『21ジャンプ・ストリート



そうそう!人形(ミニフィグ)はごちゃまぜで遊んだ!LEGOはそう遊ぶ!




この映画、言うなればLEGOのこれまでの歴史と、LEGOが持つ無限大の可能性を余す所なく描ききった、LEGO版『トイ・ストーリー』です。
しかも素晴らしいのが、この映画が放つメッセージは、そのまま現実の世界へのメタファーとしても機能している点。

この映画のメッセージを、私なりの言葉で要約するならば、
我々から無意識的に選択と思考を奪う画一的な社会、ライフスタイルを、どんなものでもいい、自分のアイデアで壊し、そして作り替えるんだ。

これは正にLEGOで出来ること。
そして、実世界へのメッセージにもなり得てる。

これ一応はLEGOを使った、キッズ向けの映画ですよ??
でも、この世界観を描くにはLEGOは最適なんです。

LEGOは一見すると四角いブロック。
ポッチで連結するから直線的で画一的な整理された世界が作れる。
そしてなにより重要なのは、セットを買うと作り方のマニュアル(説明書)が付いてくるんです。

ただLEGOは作ってからが重要。
自分のアイディアで作り替え、壊し、また作り替える。
LEGOに完成なんてないのです。

スパボンで固めることは、それはそのまま思考停止を意味します。
自分の頭で考えることを止める行為です。

LEGOはそんなものじゃないはず。
我々が暮らすこの世界だってそんなものではない。

いいんです、どんなアイディアでも。

エメットは最初、何かを作ることはおろか、マニュアルが無ければ行動も出来ない様なただの建設作業員のミニフィグです。
みんなが面白いと言うテレビを観て笑って、皆が好きだと言う曲を歌って、皆が飲んでるコーヒーを飲んでる。
そんな彼が選ばれし者になった。
彼のアイディアが間違いなく世界を変えたんです。


着地も素晴らしくて、マニュアルで作ることを一方的に悪く描かない。
大事なのは、そこから自分なりのアイディアで世界を作り替えること。

LEGOで出来るんだ。
なんだって出来るさ。



スーパーマンの声はチャニング・テイタム、グリーンランタンはジョナ・ヒル。




予告を観た段階で勝利は確信しました。
なぜなら、レゴがレゴのままで動いてる!!
つまり、コマ撮りで撮られてる!!

厳密には、実写のLEGOとCGを組み合わせた映像になってるんですけど、これがとにかく、とにかく素晴らしい。
古びてパーツやプリントが擦れてたり、日焼けの後もしっかり再現。
しかも、その表現がそのまま物語の伏線だったり、ストーリーを深めるポイントにもなってるんですよ。

例えば雲の上の世界は、エメットの遊び場。
だから色がバラバラで、お父さんのブロックシティの世界には合わないミニフィグがマスタービルダーとして集結してる。
アイディアタンクはお父さんのLEGO製作の場なのでしょう。
だからカッターなんかの工具が揃ってる。

昔は世界が一つだったのに、今はお互いの世界を行き来出来ないのは、エメットの遊びをお父さんが止めさせたから。

これらの説明は一切ありません。
でも、ちゃんと理解できる作りになってる。
素晴らしいです。

80年代の宇宙飛行士ベニーはおそらく元々お父さんが子供の時のミニフィグで、ぼろぼろになったからエメットの遊び場(=雲の上の楽園)にいるのでしょう。


同じく説明は一切ありません。
でも、しっかり世界感に深みが出てます。








新ピカで観た回は満員でしたが、それ以外は正直ガラガラに近かったです。
『アナと雪の女王』に行くのにこっちには来ないとはどういうことだ!!

観れば間違いなく面白いです。
LEGO好きじゃなくても、クリストファー・ミラー&フィル・ロード監督の新作を観ると思えば、ね!!



特徴もなく、ただマニュアル通りの日常を繰り返すことになんの疑問も抱いていない平凡なLEGOフィギュアの作業員エメットは、ひょんなことから世界を救う「選ばれし者」と間違われてしまい、LEGOワールドを思うがままに支配しようと企むおしごと大王の野望を阻止する冒険に出るはめに。ヒーローになる覚悟も自覚もないエメットだったが、世界を救うため個性的な仲間や人気ヒーローたちと悪に立ち向かっていく。
映画.com






2014年4月2日水曜日

愛の渦


愛の渦
2014/日本 上映時間123分 R18+
監督・脚本・原作:三浦大輔
製作:岡田真
木村俊樹
音楽:海田庄吾
撮影:早坂伸
編集:堀善介

キャスト:池松壮亮
門脇麦
遠藤賢一
中村映里子
新井浩文
三津谷葉子 他

80点



”人のセックスを笑うな”



連日満員が続いてるテアトル新宿にて鑑賞。

新宿ってのが『愛の渦』を観るにはまたいいんですよねぇ。
直ぐそこに歌舞伎町ですから。
自分の目の前の座席に、5〜6人の恐らくあっち系だと思われる方々がそれぞれ女性を連れていらっしゃいまして、終始和やかに鑑賞されてました。うーん、アウトレイジ!ビヨンド!!

他にも、あの人はお水の方かな。あの人はホストだ。え!?女性の団体多くないかい!?
と、およそ郊外のシネコンでは味わえない様な環境での鑑賞。
しかも、自分含めてみんな『愛の渦』を観に来てるだけって、なんだかテンション高いんですよ。
どんなものが観れるのかと。

で、いざ上映が始まるとみんな声を出して笑う笑う。
題材が題材なだけに敬遠されてる方も多いと思いますが、これ笑えるコメディです。場内爆笑でした。
濡れ場もいやらしさは感じません。
なので、そういう目的で行くと逆に肩すかしを食らうかも。


ですが、乱交パーティーに集まった男女の映画ってことで、それを説明する以下の文章は非常にセクシャルな内容が含まれるので苦手な方はご注意を。




Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...