2014年4月19日土曜日

アクト・オブ・キリング


The Act of Killing
2012/デンマーク・ノルウェー・イギリス合作 上映時間121分
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
共同監督:クリスティン・シン
製作:ジョシュア・オッペンハイマー
シーネ・ビュレ・ソーレンセン
製作総指揮:エロール・モリス

キャスト:アンワル・コンゴ
ヘルマン・コト
アディ・ズルカドル
イブラヒム・シニク


96点




”自分の中の正義は完全だと言い切れます?”





渋谷のシアター・イメージフォーラムにて鑑賞。

観終わってしばらく経った今、率直な感想としては、本当に心底面倒くさい映画だなと。

この映画が発するメッセージをふとした時にあれこれ考えます。
そして、深みにはまって抜け出せなくなります。
この堂々巡り感は『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を観た時もありましたけど、読後感が全く違うのだからとにかくもやもやする。

まだ自分の中でこの作品に対するしっかりした考えなんて固まってはいないんですけど、この鑑賞直後の熱をどうしても記録しておきたいので、私が何をそんなに考えてるのか、その堂々巡りの過程をレビューとしたいと思います。


この映画の切り口は無数にあります。
歴史を見るのか、人間の倫理から見るのか等々、見方を変えてみれば全く異なる印象も受けるでしょう。

ラストのあるショッキングなショットについてがっつり言及してますので、ご注意下さい。


因に、映画評論家の町山智裕さんは、今作が今年の暫定ベストだとTBSラジオたまむすびに出演した際に公言されていました。
その時の猛プッシュの様子を動画として貼っておくので是非お聴きを。
当時のインドネシアの情勢、今作の製作背景等、町山さんの説明を聴けばばっちりです。







今作はドキュメンタリーです。

1960年代、インドネシアで秘密裏に行われた100万人規模の大虐殺。
その実行者達は、今のインドネシアにおいて国民的英雄として扱われ、今も優雅な暮らしをしています。

今作の監督ジョシュア・オッペンハイマーは彼等にこう提案します。
「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」
提案に喜んで応じ、カメラの前で喜々として過去の行為を語りだし、虐殺を再現してみせる彼等。
しかし、過去の演技を通して、次第に変化が・・・。


ってどうですどうです。
想像するだにゾッとするでしょ、興味をそそられるでしょ。


ただ、題材が題材なだけに終止淡々としたテンポでカメラが回るんですけど、これがまた観賞後の後を引くぐったり感に繋がって心底不快。

虐殺の当事者達は、カメラの前で当たり前のように、本当に嬉しそうに過去の行為の数々を語るんですよ。見た目はどこにでもいるようなおっちゃんが。
実際の殺害現場にスタッフを連れて行って、小躍りしてみせたりするんです。

その淡々とした様子と、製作してる映画の滑稽さも相まって、思わずなんだか笑っちゃうんですね。
で、観終わって心底ぐったりして、ゾッとしてる。






では、何でそんなにぐったりしたのか。
何をそんなにあれこれ考えるのか。

それは、彼等を含めた我々人間の中にある善悪の果てしないグレーゾーン。
これに心底ゾッとするんです。


劇中でも言及がありますが、彼等は元々街の小悪党。
アンワルは映画館でダフ屋をやっていた青年だったんです。
思うに、彼は至って普通の青年だったのではないでしょうか。

そんな彼が、軍の要請によって共産主義者を1000人殺害し、”英雄”に。

状況と力が、彼等を殺人集団に変えたんです。


つまりどう言うことか。
元々絶対のものだと思っていた、我々の中にある善悪の基準、価値観でさえも、状況次第では簡単に変化すると言う事です。
これは、命への価値観が変わるとも言えると思います。


「人をなぜ殺してはいけないのか?」と言う問いがあるとします。
あなたはどう答えますか?

相手の人生を奪う権利は無いから。
法律で定められてるから。

色々な答えがあるでしょう。
そんな理屈をこねる以前に、そんなこと考えるまでもない当たり前のこととして私達は認識をしているはず。

そんな当たり前のことですら揺らいでしまうんです。
この映画、そしてそのラストが映し出すものは、人間の善悪の狭間で揺れるアンワルの心です。


彼等と同じ状況放り込まれて、誰が絶対と言えますか?

善悪の基準は白と黒では無いんです。
果てしなくグレーなんです。

そのことを今作にまざまざと見せつけられて、もの凄くげんなり。


我々と彼等を隔てる壁なんて存在せず、我々にだってああなる可能性は恐ろしい事にあるんです。
誤解を恐れずに言うならば、私だって彼らのようになりうるんです。
あなただってそう。
我々全員そうです。

居心地が悪い。



勿論これは、彼等が人間そのものとしての話。
奴等の行った行為それ自体は間違いなく悪です。
裁かれるべき悪です。








ラスト、再びアンワルは冒頭で殺害方法を嬉しそうに語り、小躍りをしてみせた現場にやって来ます。
ただ、今度は過去のことを話す度に突然嘔吐きだすんです。何度も何度も。

映し出されたその光景は、アンワルの良心と自分が行った行為への嫌悪ではないでしょうか。


完全な善が無いように、完全な悪は無いのだと思います。
時代と状況から影響を受けながら、その間のグレーゾーンをさまよう善悪の基準。


ではどうすればいいのか。
それは、絶えず自分の頭で考える事。
間違いなくこれしかないです。





<あらすじ>
1960年代インドネシアで行われた大量虐殺を加害者側の視点から描いたドキュメンタリー。60年代、秘密裏に100万人規模の大虐殺を行っていた実行者は、現在でも国民的英雄として暮らしている。その事実を取材していた米テキサス出身の映像作家ジョシュア・オッペンハイマー監督は、当局から被害者への接触を禁止されたことをきっかけに、取材対象を加害者側に切り替えた。映画製作に喜ぶ加害者は、オッペンハイマー監督の「カメラの前で自ら演じてみないか」という提案に応じ、意気揚々と過去の行為を再現していく。やがて、過去を演じることを通じて、加害者たちに変化が訪れる。






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