森田芳光『間宮兄弟』にこんなシーンがある。
ぼったくりバーで金を巻き上げられた塚地が、家に帰り、佐々木蔵之介演じる兄に当たり散らす。
兄は慰めようと、弟に塩むすび作る。それを弟は美味い美味いと泣きながら食べる。
どんなに悔しくて腹が立っても、お腹は空くし、塩むすびはいつだって美味い。
兄が心を込めて握ってくれたのなら、なおさら美味い。
私はこのシーンが大好きだ。
是枝裕和『海街diary』を観て、ふと、このシーンのことを思い出した。
劇中の四姉妹は、それぞれに何かを抱えて生きている。
それは、自分の居場所の不確かさであったり、親への当て付けにも似た意地であったり。
日々の生活を営みながら、ふと悩み、考える。
そして、お腹が空き、何かを食べたりもする。
どんなに考え込み、落ち込んでも、お腹は空くし、自家製の梅酒を飲んだりする。
時には何かを食べながら悩み、また食べ、満開の桜を美しいと感じ、また悩む。
誰かの死に触れたとしても、腹は減る。
人の感情にはひだがある。一面的な感情なんて存在しない。
どんなに落ち込んでいても、お腹は空くし、転べば痛いし、変なものを見たら可笑しくて笑う。
一日中悩み事を考えている訳ではない。
どんな時も、美しいものは変わらず美しくそこにあって、美味しいものは変わらず美味い。
私はこの人間臭さがたまらなく好きだ。
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