2012/日本 上映時間103分
監督:吉田大八
製作総指揮:奥田誠治
脚本:喜安浩平
吉田大八
原作:朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』
キャスト:神木隆之介 (前田涼也)
東原かすみ (橋本愛)
東出昌大 (菊地宏樹)
大後寿々花 (沢島亜矢)
『戦おう、僕らはこの世界で生きていかなければならないのだから』
絶賛『あまちゃん』に心奪われている父が、橋本愛観たさに借りてきていて、ついついまた観ちゃいましたよ。今年入って観るの6回目になります。本当に劇場で観なかったことを悔やんでいる作品です。本当に後悔!!
自分は普段、どうしても比較してしまうのが嫌であまり原作を読まないんですが、映画の情報を補完したくなって読んだんですよ。
そしたらまあ、何が凄いって、小説が持つエッセンスを漏らすこと無く抽出しつつ、それを映画的にアレンジし直して、尚かつそれが全てドンピシャにハマってるんですよ!
散々評価されまくってる作品の感想を述べるのは大変恐縮なのですが、この映画を観て何かを言わないでおくのは無理にも等しいので、自分なりのレビューをつらつらと。
スリリングな女子同士の会話
この映画、色々なところに隙間が空いている映画です。そもそも『桐島』の不在で話が進んでいくので、『桐島』自体がある種、この映画に出てくる人間関係の真ん中にある巨大な隙間なのです。だから、その隙間を観ている側は各々で補完し、登場人物にただ事では無いくらいに感情移入してしまいます。
また、この映画、既に様々なところで語られている通り、学校社会の描写がもの凄くリアルです。しかも、そのリアルさ、というのは、懐かしさから来る幸福な思い出とは程遠い、学校社会特有の、見えない同調圧力のような、重苦しい空気感なんですよ。
観ている間中、画面に映し出されるリアルな人物達のリアルなやり取りに、もうとんでもなく感情を揺さぶられて、そして自分の高校生活を思い出さずにはいられなくなります。しかも、その思い出される記憶が、幸せな記憶なんかじゃない、大人になりきれてないあの頃特有の、重苦しい記憶なんですから、もう悶絶ですよね。
高校生活、思い返すと確かに楽しい記憶ばかりですよ。でも、毎日通う学校での、日常レベルの話になると、そんなに楽しい記憶ばかりではなかったよな、と、思わずにはいられなかったです。
その最たるものが、女子グループの会話でしょう。もう、怖いですよ。
その場の空気が一変してしまうようなことを誰かが言っちゃって、間髪入れずに「あ、ごめーん」みたいな、直ぐに空気を戻そうとすること、女子だとか男子だとかに限らず、身に覚えないですかね。自分にとって軽いホラーだったんですけど。
橋本愛はバド部
一見すると、陰鬱にもなりがちな話かとは思うんですけど、ちゃんと救いはあるんです。むしろ、この映画が持つメッセージをしっかり掴み取れば、救いしか残されていません。それがこの作品を傑作たらしめているものの一つではないでしょうか。
そのメッセージを自分なりの言葉で要約するなら、
”自分が本当に好きだと思えるものがあれば、それはこの世界を生きていく上での武器になる”だと思っています。
ここでの好きなもの、というのは、才能があるとか無いとかの話ではなく、本当に心の底から好きだと思えるかどうかの話です。将来的にどうこうとか、そういう話でもなく、ただただ好きだからやっている、それだけのこと。そういった掛け値無しに向き合えているもののことです。
『桐島』の不在によって右往左往する者達は、自分たちが生きているこの学校、その中にあるヒエラルキーが全てであり、それを絶対のものとして疑いません。それゆえに、その頂点にいた『桐島』が、急に姿を消したことで、自分たちの価値観が揺らぎだすのです。
一方、『桐島』の不在などにはまったく動じない者もいます。
映画部の前田(神木隆之介)や野球部のキャプテン(高橋周平)、吹奏楽部の部長(大後寿久花)は、自分の中に、本当に好きだと思えるものがあるんです。周りの価値観とは別に、自分の中にしっかりとしたものさしがあるのです。前田の言葉では、そんなことであたふたするなんて、「お前らの方がおかしいじゃないか」なんですよ。
そして、その間で揺れ動いてるのが、『桐島』の親友であり、彼の不在で最も動揺している人物、宏樹(東出昌大)です。
でも、彼は内心気付いているんです。自分が生きるこの世界に、外側があるんじゃないかと。
そしてラスト、前田とのなにげないやり取りで宏樹は気付くんです。
自分には、こいつらみたいに夢中になれてるものがない、と。そして、自分が思っていた世界が、全てではないんだと。
「将来は映画監督ですか?アカデミー賞ですか?」
「うーん、それはないかな。映画監督は、ムリ」
「えっ、じゃあ、なんで、こんな汚いカメラで映画撮ってるの?」
「それは、時々ね、俺たちが好きな映画と、今自分たちが撮ってる映画が、繋がってるんだなって思う時があって・・・、本当にね、本当にたまになんだけどね」
この台詞、原作には無い、映画オリジナルのものです。
劇中で前田にこの台詞を言わせるあたり、吉田大八監督の、映画監督としての前田への愛であり、また、原作が持つメッセージに対する監督なりの一つの回答ではないでしょうか。
宏樹が『桐島』に電話を掛けながら、もう長い間顔を出していない野球部の練習を眺めるところでこの映画は終わります。宏樹はこの後どうするんでしょうか。
わざわざ屋上でロングトーン
この映画、自分が学生時代にどの位置にいたかで見方が大きく変わります。
ちなみに自分は、吹奏楽部の部長にどうしようもなく感情移入してしまいましたよ。
彼女、わざわざ屋上の外に出てロングトーンの練習をするんですよ。
なぜなら、好きな人がそこからは見えて、向こうも自分の音に気付いてくれるんじゃないかと期待してるんです。宏樹のことが好きなんですけどね、彼女。
この行動、もんの凄く身に覚えがあるんですよ。
自分も高校時代、当時気になる人が、部活の休憩で恐らく通るであろう外廊下でわざわざギターの練習をしていたことがありまして、今考えるだけで顔から火が出るくらいに恥ずかしいんですけど。
だからもう彼女の行動は他人事じゃないんですよ。記憶がよみがえる!!
そして、その後の彼女が取ったある選択も、もの凄く尊いものであると自分は感じました。全体合奏のシーン、曲をバックに進むそこからの怒濤のクライマックス、素晴らし過ぎますよ。
思いを演奏へ昇華
長々とつらつら書いてきましたが、正直まだ書ききれてないくらいです。
それくらい、どこの場面を切ってもものすごい密度ですよ。
そして、見方は人それぞれにある映画です。
ただ、見終わった後は、誰かに感想を言わずにはいられない状態になるでしょう。
そうやって、みんなで感想を言い合うのが、この映画の楽しみ方の一つでもありますね。
傑作なのはもう評価が証明しています。間違いないです。
観てない人は、なるべく早く観た方がいいですよ!!